リタイアメント(退職)という概念は、私たちの現代社会において一般的で当たり前のものとなりました。しかし、この考え方が根付いているのは比較的新しく、19世紀後半まで、多くの人々は死ぬまで労働に従事し、老後の安定した生活や余暇活動の機会は限られていました。それが、オットー・フォン・ビスマルクという政治家の革新的なアイデアによって変わることとなったのです。
オットー・フォン・ビスマルクがドイツ国宰相として政府後援のリタイアメントプログラムを開始したことで、リタイアメントの概念が根本的に変わりました。 このプログラムにより、高齢者は一定の年齢に達した際に政府から年金を受け取る権利を獲得し、働かずして安定した生活を享受できるようになったのです。
では、なぜビスマルクがこのようなプログラムを導入しようと思ったのでしょうか? 彼の言葉によれば、「年齢や障害によって仕事ができなくなった人には、国の支援を受ける正当な権利があるからだ」とのことです。 この考え方は、社会的な責任と年齢に応じた支援を導入するものであり、その後、世界中の政府に広がりを見せました。 ドイツ国では、初めの定年は70歳でしたが、後に1916年に65歳に引き下げられました。 そして、このビスマルクの革新的なアイデアに触発され、アメリカを含む他の国々も同様のリタイアメントプログラムを採用するようになったのです。
このアイデアが広まる背後には、平均寿命が伸びたことも影響しています。 1851年のイングランドとウェールズでは、70歳以上生きた人は全体の約25%に過ぎませんでしたが、1891年には40%に上昇し、現在では90%に達しています。 米国や他の先進国でも同様の増加が見られました。 このような統計データからも、リタイアメントの概念がいかに重要かが窺えます。
この世界的な寿命の大幅な伸びが、現在のリタイアメント(退職)という概念が生まれるきっかけとなりました。それと同時に、投資や資産形成への需要が増加しました。それ以前の平均寿命が短く、ほとんどの人が死ぬまで働いていた時代には、老後という概念そのものがなかったので、投資をする必要もありませんでした。
しかし、過去150年間の健康と医療の進歩によって、状況は一変しました。現代には、投資すべき確固たる理由があります。
ここでは、私たちが今すぐ投資すべき3つの理由について説明します。
1.老後に備えるため
2.インフレから資産を守るため
3.”人的資本” を “金融資本” に変えるため
なぜ、これらの要因がパーソナルファイナンスにとって重要なのか、一つずつ見ていきましょう。
投資すべき理由1 老後に備えるため
前述したように、自分の将来のために貯金することは、投資すべき第一の理由になります。誰でもいつかは働けなくなるか、働きたくなくなる日がくるでしょう。だから、老後資金を作るために投資をするのです。
年老いた自分の姿を想像するのは難しいかもしれません。まるで他人のように感じられるかもしれません。
「今と同じような感覚のまま老いていくのか、それとも別人のようになるのか?」
「老人になったとき、それまでのどんな経験が自分に大きな影響を及ぼしているのだろうか?」
「私は老人としてうまく生きていけるのだろうか?」
そんな疑問を思い浮かべる人もいるかもしれません。
しかし、現在の自分とどれだけ違っていようと、未来の自分について考えることは、投資行動の改善に大きな効果があることが研究によって明らかになっています。
ある実験で、被験者グループにコンピュータで作成した自分自身の「老後の想像写真」を見せ、それがリタイア資金の計画にどのように影響するか調査しました。
その結果、老いた自分のイメージ写真を見た人は、見なかった人よりも、平均して給料を約2%多く老後資産に振り分けていました。リアルな自分の老後の姿を見ると、長期的な投資行動が促されやすくなるのです。
貯蓄行動に最大の影響を与えた動機を調査した他の研究でも、同様の結論に達しています。貯蓄の動機として「緊急時への備え」以外に「老後のため」を挙げた人は、そうでない人に比べて定期的に貯蓄している傾向が高かったのです。
つまり、「子供のため」「休暇のため」「住宅購入のため」といった他の視点よりも、「老後のため」という視点の方が人々を貯蓄に駆り立てていたのです。
所得などの標準的な社会経済指標を調整しても、この結果は変わりませんでした。所得は貯蓄率を大きく左右しますが、この研究は収入の多寡にかかわらず、老後を貯蓄の動機にすると、お金を貯めやすくなることを示唆しています。
つまり、貯金や投資の額を増やしたいのなら、「自分のため(特に、自分の老後のため)」というある意味自分勝手な動機を利用すると良いでしょう。とはいえ、投資する理由は他にもあります。それは、ただお金を持っているだけでは不利になる現実を避けるためです。
投資すべき理由2 インフレから資産を守るため
かつてコメディアンのヘニー・ヤングマンは、次のように言いました。
「米国人は強くなっている。20年前、10ドル相当の食料を運ぶには大人2人が必要だった。今では5歳児でもできる。」
ヤングマンは、米国の若者が力持ちになったわけではなく、米ドルの価値が下がったことを指摘しています。このジョークは、インフレ、つまり長期的な物価上昇がなぜ避けられないかを強調しています。
インフレは、ある通貨を使用する人々全体が支払わなければならない、目に見えない税金のようなものです。誰もが気づかずにこの「税金のようなもの」を納めているのです。年々、食料品価格は上昇し、住宅や車の維持費、子供の教育費も増加しています。
しかし、給与はこのような物価上昇に適切に対応して増えているでしょうか。そうだという人もいれば、そうではないという人もいるでしょう。いずれにせよ、インフレが私たちの生活に影響を与え続けている現実は変わらず、私たちが直面している課題です。
インフレの影響は短期的には小さく感じられることもありますが、長期的にはかなり大きな影響を及ぼすことがあります。
図に示すように、インフレ率が年率2%の場合、お金の価値(購買力)は35年で半減します。一方、インフレ率が5%の場合、購買力は14年で半減します。つまり、比較的緩やかな物価上昇率でも、生活必需品の価格は20〜30年ごとに2倍になるということを意味します。さらに、インフレ率が高い場合、この期間はさらに短くなります。
第一次世界大戦後のドイツのヴァイマル共和国では、極端なインフレーション(ハイパーインフレーション)が発生しました。ある期間では、インフレ率が非常に高く、物価が1日のうちに急激に上昇することも珍しいことではありませんでした。
ジャーナリストのアダム・ファーガソンは、著書『ハイパーインフレの悪夢 – ドイツ「国家破綻の歴史」は警告する』の中で次のように述べています。
このような状況は稀にしか発生しないものの、このエピソードはインフレ率が極端に上昇した場合に生じうる悪影響の実態を鮮明に示しています。
しかし、インフレに対抗する効果的な方法があります – そう、それが投資です。投資資産は時間が経過しても価値を維持し、増やすことができるため、インフレの悪影響を軽減できます。
たとえば、1926年1月から2020年12月まで1ドルを保有するとしましょう。インフレに対抗するためには、この1ドルを15ドルに増やさなければなりません。
この1ドルを米国債や米国株に投資した場合、インフレの影響を緩和できるでしょうか? – それは簡単に実現可能です。
1926年に1ドルを長期の米国債に投資した場合、2020年末には200ドルに増加しています(インフレ率の13倍)。同様に、1ドルを米国株式市場全体に投資していた場合、2020年末には1万937ドル(インフレ率の729倍)に増加しています。
このように、投資にはインフレの影響に対抗して資産を維持し、成長させる力を持っています。これは、特に退職者にとっては重要です。なぜなら、現役世代とは異なり、高い賃金を得ることができず、インフレのために上昇していく物価に合わせて支出を調整しなければならないからです。
労働収入のない退職者にとって、インフレに対抗する唯一の手段は、投資資産を増やすことです。リタイアが近づいている人は、特にこの点に留意すべきです。
現金を保有することにはメリットがあります(緊急時に対処しやすい、短期的なリスクを抑えるなど)、しかし、長期的にはインフレの影響を受ける可能性が高くなります。
インフレの影響を最小限に抑えたい場合は、生活費以外のお金はすぐにでも投資に回すべきです。それでもまだ投資に踏み切る気にならない人は、時間との闘いについてじっくり考えてみましょう。
投資すべき理由3 「人的資本」を「金融資本」に変えること
投資すべき最も重要な理由は、「人的資本」を「金融資本」に転換することです。
「人的資本」とは、「あなたのスキル、知識、および時間の価値」と定義されます。
スキルや知識は生涯を通じて向上することができますが、時間は限られており減少していきます。そのため、「人的資本」は時間の経過とともに減少していく運命にあります。この「人的資本」の減少に立ち向かう唯一の手段が投資なのです。
投資は、縮小していく「人的資本」を、富を生み出す「金融資本」に変える手段です。「金融資本」は将来にわたってあなたの代わりにお金を生み出し続けてくれるのです。
あなたの現在価値はいくらでしょうか?
人的資本を金融資本に変える具体的な方法に触れる前に、まず現在の人的資本の価値を把握しておきましょう。
これは、将来の収入の「現在価値」をざっと計算することでわかります。現在価値とは、将来の見込まれる収入を、今の価値に換算したものです。
たとえば、銀行の金利が年率1%の場合、100万円の預金は1年後に101万円に増加します。この理論を逆に利用すれば、1年後の101万円には、現在の価値として100万円あると言えます。
この場合、将来の101万円を1%の利率で割り引くことで現在価値が算出されています。この割り引き率は一般に「割引率」と呼ばれており、たとえば、労働能力の損失による収入減少を評価する場合、弁護士は通常、1~3%の割引率を適用して計算します。
したがって、将来に得られるはずの収入と割引率が分かっていれば、その収入の現在価値を計算できます。
例えば、年収が500万円で将来40年間働くと仮定した場合、将来の生涯収入は2億円になります。しかし、3%の割引率を仮定すると、その現在価値は1億2000万円になります。これは、あなたの人的資本が現在1億2000万円の価値があるということです。
もしこの見積もりが正しいとすれば、現在1億2000万円あれば、これからの一生を働かずに済むことになります。この1億2000万円を適切に運用すれば、将来の生涯収入と同じ額を維持できるのです。
つまり、1億2000万円を年率3%で運用すれば、資産を減少させずに、40年間毎年500万円を引き出すことができます。
そうです、投資によって1年間に得られる500万円は、働き続けた場合の年収500万円と同じ額です。人的資本と金融資本が交換可能であることが明確になります。この視点は非常に重要です。
その理由は、人的資本が減少する資産であるためです。1年働くことで、人的資本の現在価値が減少します。なぜなら、将来の収入が1年分減少するからです。従って、同じ収入(年金などを除く)を永続的に得る唯一の方法は、金融資本を構築することです。
最も説得力があるのに、最も見逃されている「投資の本質」とは?
毎年、人的資本の価値が減少していき、同時に金融資本が増加していく概念を考えてみましょう。
具体的な例を通じて説明します。仮に40年間、毎年500万円の収入が安定して入ると仮定します。また、その収入のうち15%を毎年投資に回し、その投資から年率6%のリターンを得るとします。
毎年の収入の15%を投資に回すことにより、金融資本が着実に増えていきます。この金融資本が、将来の収入の一部をサポートし、リタイアメント資金の基盤として成長していきます。つまり、投資によって、収入だけに頼るのではなく、お金を増やす手段を築くのです。
この過程により、将来的には毎年の収入だけでなく、金融資本からも利益を得ることが可能となります。つまり、毎年の仕事に頼らずとも、お金が自動的に増える仕組みを構築することができるのです。
この考え方は、お金を資産として活用し、将来の経済的な安定を築くために、投資がなぜ重要かを説明する上で、非常に説得力のある視点です。
「人的資本」を「金融資本」に変えよう
現役時代において、年収数億円といった莫大な収入を得ているプロスポーツ選手が、驚くことに引退後に破産してしまうという事例が少なくありません。引退後も贅沢な生活を続けようとするものの、人的資本を金融資本へと変えなかったために、収入が途絶え、経済的困難に直面することがあるのです。
生涯収入の大半をわずか数年間で稼ぐスポーツ選手の場合、収入の一部を投資に回すことは、一般のサラリーマンよりもさらに重要なのです。
年齢が上がるにつれて、どのような職業に就いていても、お金を稼ぐ力が減退することに気づき、投資に対する動機づけが高まるのです。
(本稿は、『JUST KEEP BUYING 自動的に富が増え続ける「お金」と「時間」の法則』の一部を抜粋・編集して構成したものです)
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